陶のくに・前史 石器時代

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1. 旧石器時代・新石器時代・金属器(青銅器・鉄器)時代の違いをはっきりさせ、縄文文化・弥生文化を対比的に考えよう。
2. 稲作開始の歴史上にもたらした意味を多角的に考えよう。

安藤 達朗. いっきに学び直す日本史 【合本版】(Kindle の位置No.527-528). 東洋経済新報社. Kindle 版.

さて、石器時代からの学び直しの課題は上の通り。イタズラ坊主にはクリアできただろうか?
石器時代と言ったらこの俺。ん? その根拠が分からないと? 於児丸が、俺の頭は「化石してる」って言ったんだけど、これ、石器のことじゃないの?
……

人類の誕生

人類は二足歩行を始めたときから、猿とは別の存在になった。二足歩行を始めたお陰で自由になった手で道具を使うこともできるようになる。これがいわゆる最初の人間。見てくれは猿に近かったかも。類人猿とか言うもんね。

人類の特徴
二足歩行、道具を使う、言葉を話す。

さらに、獣たちが怯える「」も、人なら使うことができた。
人が、二足歩行を始めるようになった理由として、それまで食物としていた大型の草食動物が減り、狩猟・採集型の生活が難しくなってきたことがあげられる。
定住し、農耕を行うというライフスタイルへのチェンジが求められたのだ。
(っていうのが、おぼろげな記憶ですが、確認してみましょう)

人類を動物から区別する特徴として,① 道具の製作と使用, ② 火の利用, ③ 言語 の発明の3つがあげられる

安藤 達朗. いっきに学び直す日本史 【合本版】 (Kindle の位置No.577-579). 東洋経済新報社. Kindle 版.

あながち間違ってもいなかったけど、言語の使用まで飛躍しているね。二足歩行の話は、そもそも人間が猿から分化する前提条件として説明されていました。

洪積世と沖積世

地球上に最初の生物が現れたのは(人間じゃないよ)……という話は、教科書の一番初めに載っているよね。みんな大好き恐竜の話なんかも。さすがに、恐竜は陶のくにとは無関係なので、教科書の太字ワードにだけ触れておこう。

そもそも地球の誕生まで遡れば、数十億だかの気が遠くなるような昔の話。そう考えると人類の祖先である猿人が出現したのは、今から100万年前の洪積世と呼ばれる時期のことだった。洪積世というのは地質学上の分類で、この時代だけでも100万年続いたというから気が遠くなる。

洪積世は氷河期だったと言われており、寒さに凍えていたことだろう。
長い氷河期が終わると、沖積世という時代に移った。気候は温暖化し、人類の生活にも大きな変化が訪れる。

だいたい、旧石器時代が洪積世、新石器時代が沖積世ってことになっているようだよ。もちろん、これだけ古い話になると正確な線引きは難しいだろうけれども、歴史や考古学、そして、地質学の研究も日進月歩だからね。

なお、氷河期の頃、日本列島は大陸と繋がっていた。だから、ヘラジカだのマンモスだのといった化石が日本でも見つかっている。恐らく、これらの動物たちとともに、日本人の祖先となった人類も大陸から移り住んだのだろうと考えられているが、日本人の先祖については、今に至るまで、先生方の学説にも諸説あって、決定的なものはない。

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ある先生は、「縄文時代人こそが日本人の祖先」とし、いやそうではないのだという諸説もこれに対抗している。こうした「日本人の起源論」には未だに決着が見られない。まあ、古すぎる話だからね。
とりあえず、日本人は言語学的にウラル = アルタイ語系に属するものの、その文化には北方や南方など様々な系統の民族との類似点が見られ、恐らくは多種の異なる系列の人々が混血した「複合民族」ではないのか、というのが、僕の読んだ何冊かのご本の先生方に共通した推論(現時点での結論)。

 

この最初に列島に人類が定住するようになった頃は、まだ土器も作られておらず、後の縄文時代と区別するために、無土器文化先土器文化前縄文文化などと呼ぶ研究者もいる。

なお、日本列島が大陸から分離した時期は、地形の変動が頻繁に起こり、特に火山活動が活発だった。関東地方に多く分布するローム層と呼ばれる火山灰の地層はこの時のものだ。これらの地層から、岩宿遺跡が発見され、その後も多くの遺跡石器のような遺物が見つかっている。

旧石器時代

二足歩行を始めた人類の祖先は、それ以前の猿人から進化したもので、原生人類( 古生人類)と呼ばれる。北京原人やネアンデルタール人なんてのが、教科書に載っていたはず。これらの同じ石器時代人も、さらに旧人新人とに分けることができ、両者は旧人。これより後に現れたクロマニヨン人は新人である。

彼らは完全なる狩猟民で、洞窟の中に住んでいた。洞窟の壁画などが発見されてニュースになったこともあったっけ(アルタミラ遺跡)。この頃の石器はまだ打製石器であり、土器も使われていなかった。

この頃、すでに家族を中心として、原始的な村落も形成されていたというからびっくりだね。当時は「20~30名の血族集団」で群社会(ホルド)と呼ばれていたそうです(前掲書)

新石器時代

気候の変動によって、狩猟の対象であった動物たちが絶滅。すでに定住を始めていた人類の祖先たちは、農耕・牧畜経済中心の生活スタイルへとシフトする。すると、これまでの打製石器ではなく磨製石器というものが発明される(というか作られるようになる)。農耕の結果収穫したものを食糧とするための臼や杵、なんかがそれにあたる。
農耕の開始で、食物を貯蔵しておく必要が生じたから、その入れ物としての土器も作られるようになった。土器は保存のほかに、食事をするための道具としても使われた。

また、人々の生活はこれまでの血族集団社会から、定住的村落の社会へと変わった。

安藤先生のご本によれば、新石器時代には以下五つの特徴がある。 ① 磨製石器 が使われる ② 土器がつくられる③ 農耕・牧畜が行われるようになる ④ 巨石墳墓(ドルメン)がつられる ⑤ 織物がつくられる
つまり、日本の縄文時代には、これらの定義に当てはまらない部分がある。③~⑤がそれにあたる。日本で農耕が開始されるのは、弥生時代からだし、巨大な古墳が作られたのは文字通りの古墳時代から。そして、織物もまだ作られてはいない。
ま。例外もあるということで。日本における縄文時代は=新石器時代と分類されております。

なお、社会の変化というものは、ある朝目が覚めたらいきなり変わっていた、ということはないので、何事にも「過渡期」が存在します。旧石器時代から次の新石器時代に至るまでの緩やかに変化していく時代を、特に中石器時代と分類する研究者もおられます。

縄文時代

日本では、土器を用いたこの新石器時代を縄文時代と呼んでいる。それは、この時代の土器に縄目の文様がついていた(縄文式土器)ため。彼らは狩猟、採集、漁労をして生活していた。住居は最初洞窟のような場所だったが、後期になると竪穴住居と呼ばれる住居が作られるようになった。

なお、土器の製造法は時代を経るごとに発展していき、その到達点として亀ヶ岡式土器というものが紹介されていたので、名前くらい覚えておいてね。

縄文時代の住居跡遺跡は全国各地にある。また、当時の人々が食べた貝殻や魚の骨などを捨てたものが貝塚と呼ばれる遺跡で、これも各地にある。もっとも有名なのは、ローム博士が発見した大森貝塚だ。

さて、弥生文化との相違点を明らかに、という課題だから、この時代の文化(縄文文化)について考えておく。
この時代はまだ、原始的な社会であるから、文化を述べよと言われると難しい。
彼らは、血縁集団ごとにまとまって生活し、女は採集、男は狩猟をしながら暮らしていたようだ。定住も始まり、いちおうの集団生活を送っていたわけだが、まだ、階級社会が生まれるほどではなかった。しかし、集団生活を送る上での、リーダー的な人物はいたらしい。
この時代の人々は未だ自然崇拝の段階で、身の回りあらゆる物に精霊が宿っていると考え、恐れ敬っていた。「アニミズム(精霊信仰)」と呼ばれる時代だ。
ほかに、この時代の文化の特徴として、屈葬土偶抜歯の風習などがある。

屈葬ってのは、身体を折り曲げて埋葬することだろ。窮屈でたまらんな。土偶は今も、遺跡の土産物屋に売ってるけど……抜歯って?
成人したら、歯を抜いたんだって。びっくりだね。ま。その後の雅な文化花開く時代でもお歯黒とか、意味不明な風習はあったしな。普通に未開の呪術的社会だったのさ。