開発領主の家

館跡の記事を書いていて、当時の館ってどんな感じ? って思ったんだ。
ま、館跡は庭園で主の守護館が発掘調査されているけども、守護「代」館もきっと似たようなもんだよ。
各地の守護たちは京の将軍様の御所をモノマネしてた。彼らは彼らで自分たちの領国にそっくりなモノを作ることで、その権力をアピールしてたんだね。

中世はお城も「山城」。イマドキのみんなが大好きな天守閣がついた絢爛豪華なものとは趣が違う。ソコがいい、ってマニアもいるけど。

あの天守閣付きのお城は当然、領主の住処。あれらがなかった時代は地味な山城+館だった。将軍御所も含めて造りはとてもシンプル。

政務を執るところ、生活するところ、交流するところの3セットだよ。

館の周辺には堀とか土塁でいちおうの防御施設。これだと大規模な戦闘にはたえきれないから、山城を作って置いて、万が一の時はそこに逃げ込めるよう準備。
陶の城と館跡はそんな平時の居館と有事の山城のセットです。

のちに、戦国時代となると、もう戦うために生きているような時代。有事の時に逃げ込むも何も、最初から山城に住んでりゃいいじゃん? って思想も生まれる。なので、豪華絢爛天守閣の城じゃなくとも、山城と居館が一体化して巨大要塞的になったらしい。

ここはそこまでいかぬうちに役目を終えてしまったんだね……。

もはや、トラウマだけど、門山城なんかに殿様ご一家のお屋敷なんか「あったはずない」と思うよ。

狭苦しい山頂

こーんな崖っぷちだらけ

(当然だが、もっとも急峻な崖で撮影はできない……)

こんなんのどこにヒト住めるんや?

でも実際には、下の写真の隅っこにある穴は、柱を建ててた跡だって言われてる。こんな突き出した崖っぷちに!?

ま、住むところではなく、防御施設の類であろうな。

山城はまんま天然の山を使っているため、大がかりな工事をする必要はないよね。
険しい崖はそのまま防御に優れた砦です。恐らく「見かけ」を気にすることもしてないでしょう。あんな芸術品みたいな国宝天守閣の時代とは違うんです。

えっと、でも今日は、山城ではなく、居館の話。

鎌倉時代御家人の家について解説している本を何種類か読んだけれども、内容はほぼ同じ(当然だよね……)。
そもそも、全国すべての御家人の家がまったく同じ造りであるはずはないけど、基本形みたいなものはある。

館の周辺には溝(堀)がめぐらせてあり、橋を渡って中に入ると櫓門がある。
はいってすぐに、持仏堂のごとき宗教施設。必ずあるとは限らないけど。
母屋に至る途中に庭。
武士の本業は「武」なので、馬を飼い(厩)、弓馬の訓練を欠かさない(馬場)。

こーんなミニマムな御家人屋敷が全国各地に大量にあったんだよ。

建物の種類やその配置には様々なバリエーションが。
当時の館跡は、ただの原っぱだったり、ここみたいに公園になってたりするけども、中には発掘復元されているところもあるので、そのようなところを見に行けば容易に想像できるね。

青い外枠は「堀」のつもりだよ
誰ぞいらすとの上手い者を雇わねばならぬようだな。これでは見取り図作成は無理だ。
……。