陶のくに・前史 金属器時代

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1ページが長すぎると、よくないみたいなので、石器時代と金属器時代を分割したよ。

青銅器時代

農耕・牧畜が行われるようになると,それまでの採集・漁労という自然に頼って いた生活に比べ,生産力が極度に増大し,富の蓄積が可能となって貧富の差が発生し,階級も生じるようになった。

安藤 達朗. いっきに学び直す日本史 【合本版】 (Kindle の位置No.795-797). 東洋経済新報社. Kindle 版.

なんで農耕牧畜が始まると金持ちと貧乏人に分かれるんだ?
僕にもよくわからないから、そのまま引用させてもらったの。恐らくは……元々の始まりは縄文時代のあたりの、リーダー的な連中。あれらに加え、ちょこっと小回りのきく奴らが、ほかの人より多くの収穫物を得た、とかそんなことが始まりなんじゃないだろうか。
むむむ。してみると、今の俺があるのは、大昔の先祖に感謝すべきだな。
まあ、その後も戦争なり、政争なりで淘汰された人々も出るわけ。そうした浮き沈みがあるので、この時点から畠山家の先祖がすでにいたとは思えないけどね(笑)

弥生時代

弥生時代っていうと、稲作が開始され、青銅器が伝えられた時代、というイメージが。ふむふむ。記憶に誤りはないようだ。「紀元前6 ~5世紀ごろに北九州からはじまった農耕金属文化で,紀元 3 ~ 4 世紀ころまでをいう」そうです(前掲書)。

上の、「富の蓄積が可能」となった時代には多くの古代文明が花開いた。古代エジプト、メソポタミア、オリエントとか。日本には、同じく、中国の先進文明から農耕や金属器といったものが輸入されたのである。

ところで、世界史的視点から見ると、農耕はすでに新石器時代から始まっているものであり、金属器も、青銅器⇒鉄器の順に発展する。ところが、日本では、新石器時代をやっていた弥生時代に、農耕、青銅器、鉄器が時を同じくして伝わった。なので、青銅器は実用品として使われることがなく、主として祭祀や副葬品としてのものとなったという事情がある。

この時代が「弥生時代」と呼ばれるのは、縄文時代同様、その土器に関係がある。べつに弥生式の模様がついていたから、ってことではなく、土器が発見されたところが弥生という地名だったからだよ。この時代の土器は、ろくろを使って作られるようになり、縄文時代よりもずっと進んだものになったみたい。「高坏」や「鉢」のような食器も作られていたよ。言うまでもなく、この時代の文化を弥生文化と呼ぶ。その特徴は、「弥生式土器の製作、水稲耕作の開始、金属器の使用」の三点セット。

そして青銅器だけど、これは、先程見たように、祭祀や副葬品が多い。この頃の遺跡からから出土する、銅鐸だの銅剣銅矛は祭祀に使われたと考えられている。ほかにも、服飾品(腕輪とか)の発見もあるね。
農耕=水稲耕作が盛んになると、石や木、それに鉄製の農具なども作られるようになった。ゆえにこの時代を「金石併用時代」ともいうよ。石器はおよそ磨製石器で、有名なものに「石包丁」があるので覚えておこう。また、木器も大量に作られるようになり、石包丁同様、農業のための道具(鋤、鍬)などはもちろん、武器(弓)や舟まで多種に渡る。さらに、収穫した作物を貯蔵するための「高床式倉庫」なんてのも、懐かしい名前だ。

この時代の遺跡も沢山発掘されていて、たいていの教科書に地図つきで載っているけれども、有名どころとして、登呂(静岡県)、唐子(奈良県)などでスルー。

登呂遺跡の発掘はたいへんに画期的な出来事であったようで、この時代の集落、人々の生活の様子などがかなり明らかになった。中でも重要なこととして、先生方が指摘するのは、この時代の稲作は「直播き」であったという点(じつは稲作やったことないのでイマイチ分からんのだが。要は現在は『苗代栽培』であり、それとは違う方法だということ)。

農業が盛んになると、いままでより以上に、自然への崇拝が深くなる。なぜなら、干ばつや日照りを避けるために、人々は自然に祈りを捧げねばならなかったから。「自然神」への崇拝だ。そして、神様のお言葉(神託)を聞くために巫女を呼んできたりした(シャーマニズム)。

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この頃になると、相当「貯め込んだ」ものが現われたらしく「族長」などの身分になってその勢力を誇示した。その富と権力のシンボルとして、大きなお墓が作られるようになっていくよ。この時点ではまだまだ古墳時代には遠く及ばないけれども。
また、縄文時代の屈葬にかわり伸展葬が広まっていくよ。

このころの大陸

祖先が大陸(朝鮮半島)から来た以上(真偽の程はともかくとして)、常に大陸の事情には目を向けておこう。何しろ、この時代、日本にはまだ「文字」がなかった。だから、遺跡の発掘調査と、文字を持っていた大陸に残された書物とが貴重な史料となる。

大陸の書物は当然、彼ら大陸の民が自身の歴史を書き残した物。つまり、我々についての記述も、一外国についての記録、ということになる。だから、どこまで信じて良いものか(まあ、それは国内に残された史料にも同じことが言えるが)は、研究者の先生方もたいへんであろう。しかし、現状自ら文字で記録を残さなかった時代であるから、海外のものとはいえ、これらの記録は非常に貴重なものなのである。

で、弥生時代の頃の朝鮮半島。これは、古代日本にも大きく関わりがあることなので注意しておくこと。

当時は前漢の時代だったが、前漢は朝鮮半島を支配しており、楽浪・臨屯・玄菟・真番という四つの郡を置いていた。大陸の進んだ文化は、この朝鮮半島を経由して、北九州から日本にもたらされたのである。

ここに、安藤先生の「文化の受容」に関するたいへんに示唆に富む記述があった。

異質の文化が受容されるには,一般に3つの条件がある。

第一に、それが先進的なものであるなら ば, それを受容しうる能力がなければならない。例えば, 江戸幕末に欧米近代文明を受容できたのは、日本人の中にすでに合理的思考法の素地もあり、技術に対する理解もかなり進んでいたからである。

第二に,それを受容することが必要とされなければならない。 例えば,元寇の際に日本軍は元軍の「てつ はう」に悩まされながらも,それを取り入れる関心を示さず,戦国時代には鉄砲が伝わると数年後に国産されるようになったのは,鎌倉時代には集団戦が一般化していなかったからである。

第三に,受容するに際して,受容する側の主体的条件によって選択がなされ,変更が加えられる。例えば、仏教が受容されるとき、その教義よりは呪術的な側面に関心が向けられ,一方では鎮護国家の仏教となり,一方では土俗信仰と密着していったことはそれを示す。

安藤 達朗. いっきに学び直す日本史 【合本版】 (Kindle の位置No.833-834). 東洋経済新報社. Kindle 版.

ちょっと長いんだけど、ぱっと見難しくて理解できなかったので、付箋を貼っとく感じだよ。特にね、三番目が分らないの……。
さて、旧石器時代から古代国家成立の前までのおさらいはこれで終わりです。
冒頭の問いに答えられれば卒業してかまいません。

ミルのまとめ

旧石器時代には、打製石器を使い狩猟生活を送っていた人々は、新石器時代になると、磨製石器を使い、農耕を始め、定住生活をおくるようになった。定住し、農耕牧畜中心の生活を送るようになった人々は、富を蓄積することが可能となり、人口も増え、各地で古代文明が栄えた。そこで発明されたのが、青銅器や鉄器などの金属器である。

縄文時代は日本における新石器時代、弥生時代は金属器時代にあたる。縄文人は狩猟採集中心の生活で、洞窟に暮らしていたが、やがて血族でまとまって生活するようになり、竪穴式住居も作られるようになった。この頃の人々は自然を恐れ敬って暮らす、アニミズムの時代であった。縄目の文様がついた土器や貝塚が大量に発掘されており、彼らの生活を想像することができる。

いっぽう、弥生時代の特徴は、農耕、つまり稲作の開始である。定住し農業に励む彼らは、豊作を祈って自然神を崇拝した。定住と同時に、富の蓄積も始まり、次第に富み=力を蓄えるものが産まれてきた。文化的には、祭祀の道具や副葬品としての青銅器、弥生式土器などが遺跡から発掘されている。

②の稲作開始が、歴史上にもたらした意味についてだけど、こんな感じかな?

稲作の開始により、余剰作物を「貯蔵」することが起こり、これが「富の蓄積」に繋がった。つまりは「貧富の差」が生まれることにもなり、力を持つものを中心とした「部落国家」の様相を示すようになってくる。このような部落の指導者的な人物は、稲作という集団作業を指揮監督すると同時に、宗教的行事でも中心的役割を担い、ますますその地位を高めて行ったと思われる。

ごめん。ノーコメント……
だから、歴史は漫画で学ぶなとあれほど……。漫画でまるっと頭に入るのなら、何十冊読んでもいいのよ。

放射性炭素による年代測定法

なんじゃい、これは↑
Name
放射線炭素を用いた年代測定方法のことだよ。
何だよ。読んだまんまじゃないか。
うるさいね。現状、これがもっとも正確に過去の遺物の年代を測る方法だよ。名前だけでも覚えておいてね、って話だよ。